わらって、ゆるして。

躁うつ病日記

短編小説 : ひとりぼっち戦争

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戦争に行ってきた。

それはとても酷い戦争で、多くの数の人間が死んだ。

僕の目の前で、親友の上半身が吹き飛ぶのを見た。

ある者は突然、大声を上げて叫び出し、そのまま走り去って蜂の巣になっていった。

僕自身も沢山の人間を殺した。

ある時はショットガンで、ある時は腕のように太いナイフで、ある時は地雷を仕掛け、またある時は装甲車に乗って、人間を虫ケラのように踏み潰した。

僕の部隊がいたのは最も戦闘が激しい地域だったので、たまたま運が良かった僕しか生き残らなかった。

僕が優秀な兵士だったわけではない。

ただ、生存を誰よりも強く望んだ事と、兵器の扱いが上手かった事が功を奏した。

惨たらしい人間の死にあまりにも多く触れすぎたせいで、僕の心はガラクタになってしまった。

やっとの思いで戦場から生まれた街に帰ってきた頃、僕は、既に人間ではなかった。

人間の形を辛うじて保っている、別の何かだった。

出迎えた家族は僕の生きて帰って来た事を喜んだものの、僕の見た目以上の変化に戸惑い、怯えているようだった。

僕は家族からの腫れ物のような扱いと作り笑いに耐えられなくなり、同じ街で広くて安く住める物件を探して、一人で暮らすようになった。

幸いにも戦争に勝った軍から慰労者年金がしばらくは支給される予定だったし、元々の仕事だった金工の技術を生かして、自分で作成した指輪やペンダントトップを、昔からの伝手を頼っていくつかのお店に卸して静かに暮らして行くことが出来た。

昼は近所に借りた工房で作業をし、日が暮れると帰り道にある安酒場に寄ってビールを飲んで簡単な夕食を食べ、家に帰って眠った。

ベッドの中で考えるのは、戦場で何の意味もなく散っていった友人達と、変わってしまった僕を受け入れられずに、連絡が途絶えた恋人の事ばかりだった。

週に一日だけ休みをもうけ、バイクに乗って海に出かけ、潮騒を聞きながら図書館で借りてきた本を読んで過ごした。以前に翻訳で読んでいた海外の古い小説を、辞書を片手に原文で読むのが僕のお気に入りだった。

僕はゆっくりと、そして着実に、平穏な生活を手に入れていった。

“もう人を殺さなくて済む“

そう思うと、ガラクタになってしまった心も、ほんの少しだけ癒せるような気がしていた。

一人で仕事をこなし、必要最低限の人間にしか会わないよう、注意深く日々を過ごした。

.......ふと気がつくと、僕は夜中に想像の中で一人遊びをするようになっていった。

僕のガラクタになってしまった心を組み合わせて、兵器を作って、想像の中の自分と殺し合いをするのだ。

僕は戦場を経て、自分でも気付かないうちに、根っからの人殺しになってしまったようだった。

ひとりぼっちの戦争で、僕は僕を撃ち抜いて、僕は僕を撃ち抜いた。

バン、ドン、バン。

頭の中で。

バン、ドン、バン。

戦争の音が。

バン、ドン、バン。

鳴り止まない。

 

 

失われた者への祈り 〜その2〜

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こんにちは。

 

今日の東京はとてもいい天気です。

 

躁うつ病の軽躁状態なのでなかなか夜に眠れず、少し体が疲れている感じがしますので、午後には隣町の温泉に行ってゆっくりして来ようと思います。

 

 

さて、今日はもう一度、母について書こうと思っています。

以前の母についてのエントリーはこちらです。

 

 

正確には数年前、母が死んだ直後に書いた日記をアップします。

 

現在とは文章のスタイルも言葉の選び方も一人称も何もかも違うので、当時からの僕の変化と成長を感じ取っていただければ嬉しいです。

 

よろしくお願いいたします。

 

 

母が死んだ日 

 

毎日、空は底が抜けたかのように、突き抜けて青かった。雲が少なかった。陽射しは細かい針のように肌に刺さった。何度も上を見上げる。太陽が、白く目を侵食する。

夏。

母が焼かれるのを待っていた。

 

 

断片。

 

 

母が死んだ。突然だった。クモ膜下出血。聞いた事はある。倒れてから二日で死んだ。

息を引き取った深夜二時半頃、兄弟はそれぞれ休んでいて、丁度俺だけが母に付き添っていた。

その時、母の絵を描いていた。
相変わらずヘタクソで、独りよがりだった。

 

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 葬儀に関してこういった言い方は不適切であるが、通夜も告別式もとても良かった。
母を慕ってくれている人が沢山集まった、本当に良い式だった。

 

 

フラグメンツ。

 

 

もっと、母さんに優しくすればよかった。母さんが生きている最後に実家を訪ねた時、見送りに出ようとした母さんを無下に拒絶した自分がどうしても許せない。見送りくらいさせてあげれば良かった。もう、これは一生後悔して生きるしか、ない。

母さん、ごめんなさい。母さん、俺は悔しい。母さん、愛してる。母さん、なんでいなくなったの。母さん。いつも質素だった母さん。誰にでも優しかった母さん。俺を愛してくれた母さん。

俺は良い息子ではなかった。母さんは、良い母親ではなかった。俺達は愛し合っていた筈なのに、上手く愛し合う事が出来なかった。

俺が、狭量だったせいで。

キリスト教の事だって許してやれば良かった。生活費を渡す時も渋らず勿体ぶらず、笑顔で渡せば良かった。

母さん、俺は悔しいよ。
母さんに結婚式に出て欲しかった。
俺の孫の顔だって見せたかった。
もっとデカい仕事をして、褒めて貰いたかった。母さんは、そんなのどうでも良いと思うけど。

母さん、悔しいよ。俺は悔しい。一生悔したままだと思う。

母さん、愛してる、上手く伝える事が出来なかった、愛されていたのに、応えられなかった、それが俺の十字架だ。

ぜってー忘れねぇ。
ぜってー忘れねぇ。

己の愛の無さ。
己の狭量さ。

 

 

まだまだ相当生き生き生きる。
俺が逝くまで、母さん、見守っててくれ。

母さん、ごめんなさい。
母さん、ありがとう。
母さん、愛してる。

後悔するくらいなら、なんで生きているうちに言えなかったんだ、畜生、畜生、畜生。

 

 

 

病に犯される少年、やがてそれを知る少女

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夕暮れ時の帰り道を、ぼくはカゴと荷台の付いたあかい自転車で辿っていた。

 

荷台には彼女が座っている。

 

夕日が雲と混ざり合ってグレーとオレンジがあやふやに交錯した空模様の中、なだらかな坂道をゆっくりゆっくり滑り降りていく。


荷台にちょこんと座っている女の子と、あかい自転車と、夕暮れと、帰り道。もうなんにもこれ以上はいらないんじゃないかと思った。

 

だから、そう言ってみた。


「なんかもう、今、世界がおわってもいい気分だわ。うん、なんか、満足」


自転車の後ろに座って彼女は、それを聞いて面倒くさそうに含み笑いをする。ぼくのロマンチスト癖がまた始まったとでも思ったんだろう。

 

そういえば、彼女はぼくにたまに言っていた。

「あんたのそれ、ナルシストみたいでウザい」

 

この文章が彼女の小言をちゃんと踏まえられているかどうか、正直そんなに自信はない。

 

……ぼくの自分に酔った台詞に対して、なかなか何も言おうとしない彼女に少しだけ不安になって、片手を後ろに回してその脇腹あたりをつついてみた。

 

「ちょっとぉ、やめてよ、落っこちちゃうじゃん、脇腹弱いんだよ」
「落っこちちゃってもいいじゃん、ねぇ、なんか言ってよ」
「…………ハァ」
「じゃあ何も言わなくてもいいから、後ろから“ぎゅう”ってして?」


彼女の頼りなくて華奢な腕が僕の腹部あたりに絡み付いた。

ぼくは、彼女の手の形がとても好きだった。ぼくの手みたいにゴツゴツした節がなくて、血管が透けて見えるくらい白く、細くて、本当に同じ人間なのかと疑ってしまうくらいだった。彼女の体はどこをとっても文句のつけようのないくらい魅力的だったが、その手のしなやかさは特別に美しかった。
うしろから抱きしめられて、背中に彼女の大きい乳房がハッキリと感じられる。

あとで彼女の部屋に着いたら、ぼくはその乳房の柔らかさを背中越しの服の上からじゃなくて手の平で直に感じるんだろう。そうしたら彼女は、少しだけ体を震わせて、上ずった声と一緒に柔らかい吐息を僕の頬に吹きかけるんだろう。


それ以上に必要なものが一体全体、この世界の何処にあったっていうんだろう?


ぼくは、自分に与えられたものに対して何も疑わずに、そのままゆっくりと、緩やかな坂道を二人乗りのあかい自転車でブレーキを掛けながら滑り降りるスピードで、彼女とずっと一緒に歳をとっていくんだと思っていた。それはとてもとても自然で、素敵な事のように思えていた筈だった。

 

ぼくが、自分の手で、全てを粉々にぶち壊すまでは。

 

 

携帯キャリアを格安simに変えて、毎月1万円得しちゃおう!

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本題の前に唐突で申し訳ないですが、昨日ツイッターのフォロワーさんが500人超えました!

 

ヤッターヽ(ω・ヽ)(ノ・ω)ノ ヤッター♪

 

こんなのはじめて泣

 

フォロワーの方々に本当に感謝です。

 

これからもいいね♡やたまに@で、同じ病気や似た悩みを持った方々と丁度いい距離を探しつつ、優しく見守り合いたいと思っています。

 

なにとぞよろしくお願いします( 。-_-)人

 

……ぼくは学校や会社で作った物やアイデアってなかなか上手く認められず、何度も何度も直してやっとOKが貰えるような感じだったで、自由に描いたイラストにつくいいね♡や、このブログのはてなスターのひとつひとつに対して涙がこぼれそうになるほどうれしいのです。大袈裟ではなく、たまに必死にこらえながら泣いています。

 

本当にありがとうございます。

 

twitter.com

 

 *

 

さて、前置きが長くなってしまいました。

 

このエントリーは"携帯キャリアを格安simに変えて、毎月1万円得しちゃおう!"というタイトルでしたね。

 

格安simって本当に大丈夫?と思って二の足を踏んでいる方も沢山いると思います。それでこのエントリーを書かせて貰いました。

 

これがですねー。大手キャリアから変えてもぜーんぜん問題ないのです。キラーン*

 

ちなみにぼくはdocomoから格安simのocnに変えて、毎月の携帯料金が一万三千円から二千円に下がりました。超お得だと思うし、使っていて何も困ってません。

 

家ではwi-fiを飛ばして使っているし、外で動画を観るワケでもないので通信量三ギガの契約にしました。

 

まぁそこまで大幅に下がったのは、携帯本体の支払いが元のキャリアにあったからなんですけどね。それがなかったとしても確実に五、六千円は下がったでしょう。

 

ではキャリア変更の流れを追ってみましょう。

 

格安simへのキャリア変更の流れ

1. 携帯電話番号ポータビリティ(MNP)に必要な予約番号を取得する。

今使ってるキャリアのショップか電話、ウェブからでも出来ます。ぼくは電話でやりました。

 

2.WEBサイトで自分の選んだ格安simの会社と契約する。

この時MNPの予約番号が必要です。ocnの場合は次の日に本人確認のための電話がかかってきました。

 

3.今使っている携帯のキャリアショップに行って解約する。

ぼくは丁度2年縛りの契約と携帯本体の支払いが終わったタイミングに解約したので、違約金等なくそんなにお金かからなかったと思います。

 

4.2〜3日後に契約したsimカードが届く。

これを自分で携帯電話に差し直して設定したら、変更完了です。

 

こんな感じです。簡単でしょう?

 

ぼくがdocomoからocnに変えた時期は、相当激しいうつ状態で社会的能力が限りなくゼロの状態だったので、なんらかの仕事や学校に通われてる方だったら鼻唄うたいながらでも出来ることだと思います。

 

うつ状態だったというのもあり曖昧な記憶を辿っているので、流れに書いた2〜4が多少前後するかもしれません。少し頭に留めておいてください。

 

一応格安simのデメリットも書いておきます。

 

格安simのデメリット

1. 実店舗がない

キャリアショップにしょっちゅう相談に行かれる方や、キャリアの携帯本体の損害保険によくお世話になる方は、ちょっと慎重になった方が良いかもしれません。格安simの会社は実店舗を持たないところがほとんどなので。

 

2. e-mailのキャリアドメインがない

e-mailのキャリアドメイン(docomo.ne.jpなど)にこだわりがある方も注意ですね。格安simはほとんどの場合独自の携帯キャリアドメインを持ったe-mailアドレスがないので。ちなみにocnには独自ドメインがあります。ぼくはほとんど使ってないですけど。gmailがあれば十分です。とは言いつつも社会生活を送っていると大手キャリアのドメインを持っていないと信用されないといった変な信仰に出くわしたりするので、そのあたりは注意が必要だと思います。

 

3. 通信が遅い場合がある

人が沢山いる場所でデータが混雑する時間帯だと、少しやり取りが遅く感じる”らしい”ですが、ぼくはまったく気にならないです。そんな場所にそもそも行かないってのもありますけど。

 

4. LINEの年齢認証が出来ない

大手キャリアか格安simの中でもLINEモバイルでないと、LINEの年齢認証が今のところ出来ないです。普通に連絡アプリとしてはほとんどの機能が使えますが、一部のid検索機能などが制限されるので、LINEのヘビーユーザーは注意が必要かもしれません。

 

ぼくが思いつく検証するべきデメリットはこんなとこだと思います。

大幅に毎月の携帯代が安くなると考えれば、ぼくには気にならないことでした。

 

ぼくはあんまり調べずにdocomoの携帯がそのまま使えるからという理由でocnにして今のところ満足してますが、ちゃんと調べればもっと安いところや通信速度をウリにしているところは沢山あると思います。そのあたりはよろしくです。

 

では、携帯料金で困っていたり変えようか迷っている方は早めに格安simにして、浮いたお金で美味しいものでも食べにいっちゃいましょう!

 

 

最近は私事の情緒的なエントリーばかり書いていたので、たまにはこういうのもいいかなと思ったんですが、いかがでしたでしょうか。

 

他にも料理に関するエントリーや短編小説などもアップしていこうと思っているので、たまに読みに来て頂けると非常にうれしいです٩( ´◡` )۶ 

 

長くなりましたが最後までお付き合い頂きありがとうございます。

 

それでは。

 

良い夜を。

 

 

 

失われた者への祈り、または色んな意味で遅れてしまった母の日について

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こんにちは。

 

さっき朝の散歩から帰って来たんですが、今日の東京は秋のはじまりみたいで涼しくて空が高く気持ちいいですね。

 

家から少し離れた散歩道の途中にある野球場で子どもたちが試合をやっていて、沢山のご家族がそれを見守っていてとても和みました。

 

✴︎

 

さて。

 

今日は、ぼくの母について少し話そうと思います。

 

本当は母の日に書くつもりだったのですが、感情が揺さぶられて支離滅裂になってしまい、なかなか書けなかったのです。

 

ぼくの母は、誰に対しても優しく平等に温かい心を配り、少なくない数の傷ついている人たちの、心の中に抱えた重たい荷物を溶かしていった人でした。

 

彼女はそのか弱い両腕には抱えきれないほどの困難を一身に請け負い、周囲からの不理解にぶつかりながら自分の信じた道をひたむきに歩き、そしてある日、なんの前触れもなく突然この世界から去って逝きました。

 

ぼく自身は、母が信じて歩いている道のことを理解出来なかったので、思春期以降は特に彼女への不理解の壁の一枚として、その前に立ちふさがってしまっていたと思います。

 

多くの事情があるとはいえ、母との間に良好と言える親子関係を築けなかったことを、ぼくはやはりとても悔やんでいます。

 

彼女はいつでもぼくに向かって止む事のない愛を持って手を差し伸べていた筈なのに、ぼくはそれに応えられませんでした。本当に、とんだ狭量な人間だと思います。

 

失ってから理解しようとすれば良かった、もっと大切にするべきだったと思ってしまうなんて、病気のことなんてまるで関係なくぼくは人間として出来損ないの欠陥品なんです。母の死という事実に付随して、ただただ、それが、悲しい。

 

この絵は、最期に棺の中で花に包まれた母を描いたものです。

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驚かせてしまったら申し訳ありません。静かに眠っている人への冒涜のように感じる方もいるかもしれません。

 

ただ、母について書くにあたり、ぼくはこの絵をのせずにはいられなかった。

 

とても、綺麗な人でした。

 

葬儀に関することも詳しく書きたかったのですが、考えた末やめておくことにしました。きっと、胸に秘めておいた方が良いこともあるのです。一般人の葬儀とは思えないくらい母を慕う人が非常に多く集まり、兄弟と一緒に涙に溺れるほど泣いた、とても印象に残る式典でした。

 

✴︎

 

母の急死に触れてぼくは思いました。

 

人の命は、暗闇の中で無防備に灯っているロウソクのようなものではないでしょうか。

 

多くのロウソクは家の中や誰かの加護の元で一番下の近くまで燃えてから尽きていきますが、荒野や守るような壁がない場所に置かれていたとしたら、予期せぬ突風に煽られて、なす術もなく、唐突に吹き消されてしまう。

 

小さい炎が消えてしまったあとに残るのは、まぶたに残る光の残像と、確かにそこには明かりが灯っていたという温もりの記憶だけで、もう一度そのロウソクに火を灯せるマッチは、ぼくの手の中には、ないのです。

 

……自分を誰よりも愛してくれた人の気持ちに応えられず、そしてそのまま、もう二度と会うことが出来ないだなんて。

 

母さん、声が聞きたい。いまだにこんな夢をみるんだ。目が覚めたら実家の部屋にいて、台所に行ってみると母さんの横顔が見えて、いつもそうだったように、ぼくの知らない歌をハミングしながら洗いものをしている夢だよ。

 

母さんに会いたい、話したいよ、照れくさいなんて言ってないで、ぼくが幼かった頃のように優しく抱きとめて貰いたい。とっくの昔にぼくの方が大きくなってしまっているけど。母さんはそれをずっと待ってくれていた筈なのに、生きている間にどうして出来なかったんだろうね。

 

ぼくは悔しいよ、自分の心の狭さが。

 

だから、少しでも、変わりたいと思う。

 

母さんのように、誰にでも心から優しくなれるように。

 

✴︎

 

ぼくは一神教でいうところの神さまが本当にいるかどうか分からないし、なにか特定の信仰を持っている訳ではありません。

 

ですが、もしも魂が存在し肉体の死後に行く場所があるとするのなら、そこがどのような人間にとっても心安らかに過ごせる平穏な世界であることを、心の奥底から願って止みません。今のぼくが亡くなってしまった母に出来ることと言ったら、そのくらいです。

 

この願いというのは、世界中の多くの人々が祈りと呼んでいるものなのかもしれません。

 

ぼくは祈っています。

 

母さん、安らかに。

 

愛してくれて、

 

ありがとう、

 

ありがとう、

 

ありがとう。

 

 

スマホのカメラで料理を美味しそうに撮ってみよう!

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こんにちは。

 

先日ツイッターにアップした自作のハンバーガーの写真のいいね♡が、なんと70件越えてしまいました……((((;゚Д゚)))))))

 

フォロワーの方のハンバーガー愛に感謝です(*´∪`)人♡

 

これだけいいねをして貰えたのは、ハンバーガーはみんなが大好きっていうのも勿論ですが、きっと写真が美味しそうに見えたんだろうなぁと思います。

 

なので今回は誰でもスマホで出来る、ぼくなりの美味しそうな料理の写真の撮り方を書こうと思います。

 

いつもご飯の写真は撮ってるんだけど、目の前の料理はとっても美味しいのに写真で見るとなんか違うなぁと思ってる人は、少し参考にしてみてください。

 

作業の流れ

1. スマホのカメラで料理の写真を違う角度から2〜3枚撮る

2. 冷めない内に料理を食べる。

3. 撮った写真から良さそうなものを選ぶ。

4. アプリでちょっぴり調整して、美味しさアップ!

 

おおまかな流れはこんな感じです。

 

 

実践編

 実際の作業の流れを細かく書く前に、料理の写真のあまり良くない例をまず見て貰おうと思います。

 

昨日の晩ご飯の鰆(さわら)のスパイス焼きです。

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とっても美味しかったんですが、この写真だと暗いしカメラの影がメインディッシュにかぶってるし、なんか全体的に右にずれているし、あんまり美味しさが伝わりませんよね。

 

では、これを踏まえて別のアングルと構図で写真を撮ってみましょう。

 

メインで撮りたい料理が出来るだけ左右の真ん中に、大きく入っていると良いですね。

ただし大きすぎるとメイン以外の他のものが写真に入らないので、ほどほどを意識しましょう。

 

こんな感じに撮り直してみました。 

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最初のより大分良いんじゃないでしょうか。

 

黒いテーブルだとちょっと色味が寂しいので、ランチョンマットを引いてみました。

ランチョンマットは100円均一ショップで結構可愛いのが売ってるので、ぼくは何種類か買ってその日のメニューや気分で変えて使っています。写真映えもするし楽しいです。

 

このままでも良いんですが、折角なのでもうちょっと美味しそうに見せるためにアプリを使いましょう。

ぼくはiphoneユーザーなので、元から入っている“写真”のアプリを使います。

Androidの方もおそらく似たような機能がついてる筈なので、一応まだ読んでてください。

 

 

写真アプリで色味を調整したい写真を表示させ、左上の“編集”をタップします。

 

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するとこの画面になるので、下の4つのアイコンから左から2番目の、太陽と時計が合わさったようなアイコンをタップします。

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3つ項目が出てくるので、“ライト”をタップします。

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出てきたスクロールバーを明るい方へスライドさせましょう。

グイッとな。

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3つ項目が出たところに戻って、今度は“カラー”をタップして、若干明るく調整します。少し、光を足すようなイメージです。

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完成です。

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最初の良くない例と比べてみましょう。

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作業時間的には2、3分ってところですが、同じ料理を撮っている筈なのに伝わってくる美味しさは全然違うと思います。

 

皆さん似たような作業をされている方は多いと思いますが、ぼくのやり方はこんな感じです。

 

いくつか写真加工のアプリは試してみましたが、iPhoneの“写真”アプリが超優秀なので、結局戻ってきました。

 

SNSに写真をアップする際に付いている加工機能もとても良いですが、iPhoneの“写真”アプリは紹介している機能以外にも色々出来ます。iPhoneユーザーだけど今まであまり使っていない人や、SNSの写真加工機能よりも自分の手で細かくいじってみたい人は、是非試してみてください。

 

美味しそうなご飯の写真をSNSにアップして、みんなのタイムラインを楽しい食卓に変えちゃいましょう!

 

✳︎

 

そうそう、今日は早朝の散歩がてら24時間営業のスーパーに寄ったら、牛肉の赤身肉のブロックに半額シールが貼ってるのが売ってたんですよ。

 

これぞ早起きは三文の得!

 

なので今日の昼ご飯は、それを使ってローストビーフを作るつもりです。

バターたっぷりのマッシュポテトを添えてね。ウキウキ。

 

料理が出来たらこのエントリーに書いたやり方で写真を撮ってツイッターにアップするので、見に来てくれるとうれしいです。

 

それでは。

 

良いランチタイムを。