失われた者への祈り、または色んな意味で遅れてしまった母の日について
こんにちは。
さっき朝の散歩から帰って来たんですが、今日の東京は秋のはじまりみたいで涼しくて空が高く気持ちいいですね。
家から少し離れた散歩道の途中にある野球場で子どもたちが試合をやっていて、沢山のご家族がそれを見守っていてとても和みました。
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さて。
今日は、ぼくの母について少し話そうと思います。
本当は母の日に書くつもりだったのですが、感情が揺さぶられて支離滅裂になってしまい、なかなか書けなかったのです。
ぼくの母は、誰に対しても優しく平等に温かい心を配り、少なくない数の傷ついている人たちの、心の中に抱えた重たい荷物を溶かしていった人でした。
彼女はそのか弱い両腕には抱えきれないほどの困難を一身に請け負い、周囲からの不理解にぶつかりながら自分の信じた道をひたむきに歩き、そしてある日、なんの前触れもなく突然この世界から去って逝きました。
ぼく自身は、母が信じて歩いている道のことを理解出来なかったので、思春期以降は特に彼女への不理解の壁の一枚として、その前に立ちふさがってしまっていたと思います。
多くの事情があるとはいえ、母との間に良好と言える親子関係を築けなかったことを、ぼくはやはりとても悔やんでいます。
彼女はいつでもぼくに向かって止む事のない愛を持って手を差し伸べていた筈なのに、ぼくはそれに応えられませんでした。本当に、とんだ狭量な人間だと思います。
失ってから理解しようとすれば良かった、もっと大切にするべきだったと思ってしまうなんて、病気のことなんてまるで関係なくぼくは人間として出来損ないの欠陥品なんです。母の死という事実に付随して、ただただ、それが、悲しい。
この絵は、最期に棺の中で花に包まれた母を描いたものです。
驚かせてしまったら申し訳ありません。静かに眠っている人への冒涜のように感じる方もいるかもしれません。
ただ、母について書くにあたり、ぼくはこの絵をのせずにはいられなかった。
とても、綺麗な人でした。
葬儀に関することも詳しく書きたかったのですが、考えた末やめておくことにしました。きっと、胸に秘めておいた方が良いこともあるのです。一般人の葬儀とは思えないくらい母を慕う人が非常に多く集まり、兄弟と一緒に涙に溺れるほど泣いた、とても印象に残る式典でした。
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母の急死に触れてぼくは思いました。
人の命は、暗闇の中で無防備に灯っているロウソクのようなものではないでしょうか。
多くのロウソクは家の中や誰かの加護の元で一番下の近くまで燃えてから尽きていきますが、荒野や守るような壁がない場所に置かれていたとしたら、予期せぬ突風に煽られて、なす術もなく、唐突に吹き消されてしまう。
小さい炎が消えてしまったあとに残るのは、まぶたに残る光の残像と、確かにそこには明かりが灯っていたという温もりの記憶だけで、もう一度そのロウソクに火を灯せるマッチは、ぼくの手の中には、ないのです。
……自分を誰よりも愛してくれた人の気持ちに応えられず、そしてそのまま、もう二度と会うことが出来ないだなんて。
母さん、声が聞きたい。いまだにこんな夢をみるんだ。目が覚めたら実家の部屋にいて、台所に行ってみると母さんの横顔が見えて、いつもそうだったように、ぼくの知らない歌をハミングしながら洗いものをしている夢だよ。
母さんに会いたい、話したいよ、照れくさいなんて言ってないで、ぼくが幼かった頃のように優しく抱きとめて貰いたい。とっくの昔にぼくの方が大きくなってしまっているけど。母さんはそれをずっと待ってくれていた筈なのに、生きている間にどうして出来なかったんだろうね。
ぼくは悔しいよ、自分の心の狭さが。
だから、少しでも、変わりたいと思う。
母さんのように、誰にでも心から優しくなれるように。
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ぼくは一神教でいうところの神さまが本当にいるかどうか分からないし、なにか特定の信仰を持っている訳ではありません。
ですが、もしも魂が存在し肉体の死後に行く場所があるとするのなら、そこがどのような人間にとっても心安らかに過ごせる平穏な世界であることを、心の奥底から願って止みません。今のぼくが亡くなってしまった母に出来ることと言ったら、そのくらいです。
この願いというのは、世界中の多くの人々が祈りと呼んでいるものなのかもしれません。
ぼくは祈っています。
母さん、安らかに。
愛してくれて、
ありがとう、
ありがとう、
ありがとう。