失われた者への祈り 〜その2〜
こんにちは。
今日の東京はとてもいい天気です。
躁うつ病の軽躁状態なのでなかなか夜に眠れず、少し体が疲れている感じがしますので、午後には隣町の温泉に行ってゆっくりして来ようと思います。
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さて、今日はもう一度、母について書こうと思っています。
以前の母についてのエントリーはこちらです。
正確には数年前、母が死んだ直後に書いた日記をアップします。
現在とは文章のスタイルも言葉の選び方も一人称も何もかも違うので、当時からの僕の変化と成長を感じ取っていただければ嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
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母が死んだ日
毎日、空は底が抜けたかのように、突き抜けて青かった。雲が少なかった。陽射しは細かい針のように肌に刺さった。何度も上を見上げる。太陽が、白く目を侵食する。
夏。
母が焼かれるのを待っていた。
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断片。
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母が死んだ。突然だった。クモ膜下出血。聞いた事はある。倒れてから二日で死んだ。
息を引き取った深夜二時半頃、兄弟はそれぞれ休んでいて、丁度俺だけが母に付き添っていた。
その時、母の絵を描いていた。
相変わらずヘタクソで、独りよがりだった。
葬儀に関してこういった言い方は不適切であるが、通夜も告別式もとても良かった。
母を慕ってくれている人が沢山集まった、本当に良い式だった。
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フラグメンツ。
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もっと、母さんに優しくすればよかった。母さんが生きている最後に実家を訪ねた時、見送りに出ようとした母さんを無下に拒絶した自分がどうしても許せない。見送りくらいさせてあげれば良かった。もう、これは一生後悔して生きるしか、ない。
母さん、ごめんなさい。母さん、俺は悔しい。母さん、愛してる。母さん、なんでいなくなったの。母さん。いつも質素だった母さん。誰にでも優しかった母さん。俺を愛してくれた母さん。
俺は良い息子ではなかった。母さんは、良い母親ではなかった。俺達は愛し合っていた筈なのに、上手く愛し合う事が出来なかった。
俺が、狭量だったせいで。
キリスト教の事だって許してやれば良かった。生活費を渡す時も渋らず勿体ぶらず、笑顔で渡せば良かった。
母さん、俺は悔しいよ。
母さんに結婚式に出て欲しかった。
俺の孫の顔だって見せたかった。
もっとデカい仕事をして、褒めて貰いたかった。母さんは、そんなのどうでも良いと思うけど。
母さん、悔しいよ。俺は悔しい。一生悔したままだと思う。
母さん、愛してる、上手く伝える事が出来なかった、愛されていたのに、応えられなかった、それが俺の十字架だ。
ぜってー忘れねぇ。
ぜってー忘れねぇ。
己の愛の無さ。
己の狭量さ。
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まだまだ相当生き生き生きる。
俺が逝くまで、母さん、見守っててくれ。
母さん、ごめんなさい。
母さん、ありがとう。
母さん、愛してる。
後悔するくらいなら、なんで生きているうちに言えなかったんだ、畜生、畜生、畜生。