わらって、ゆるして。

躁うつ病日記

短編小説 : サンタクロースをやっつけろ!

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新しい派遣先は最高だ。

 

まず時給が相場より150円も高い、ダサい制服がない、派遣先の社員が私を"派遣さん”って言わないでちゃんと“斎藤さん”って名前で呼んでくれる、残業する程仕事がない(これは収入的にはちょっぴり痛い)、休憩も10分くらいなら割と自由にとって良くて、何よりオフィスのすぐ横に私の大好きなミスタードーナツがあるのだ。給湯室に電子レンジだけじゃなくて珍しくトースターもあるから、ミスドで買ってきたオールドファッションをトースターでちょっとだけ焼いて表面をカリカリにして食べるのが、ここ最近の私のお気に入りの休憩の過ごし方になってる。

 

こういう”アタリ”の会社に派遣されると、せっかく受験を頑張ってそこそこの私大を出たんだから、暇なまーちゃんと馬鹿な遊びばっかりやってないで、就職活動をもうちょっと真面目にやれば良かったかなってちょっぴり後悔する。でも良いんだ、毎日が小学校の夏休みの冒険みたいで楽しかったから。

 

昨日、まーちゃんからラインが届いたのは、仕事を休憩して一息入れるおやつの時間を少しだけ過ぎた頃だった。

 

私は小さい頃から「三時のおやつ」という言葉の響きが大好きで必ず三時にはおやつを食べてその習慣を続けるうち、時計を見なくてもいつのまにか午後三時を体が勝手にわかるようになってしまった。でもそのこととまーちゃんからラインがきた話に関係があるわけじゃなくて、寧ろ全然関係なくて、思ったことをそのまま言葉にしようとしてみただけなんだけど。そんなこんなで(どんなこんなだ?)おやつの三時過ぎにラインが届いたって言うわけ。

 


以下、ラインの内容。

 

“どうする?今日のサンタ狩り”

 

それを読んで今日がクリスマスイヴだということを私は思い出した。オヤツを買いに行ったミスドの店員さんがいつもとちょっと違うなと感じたのは、多分サンタ帽をかぶっていたからだ。

 

まーちゃんからは毎年クリスマスイヴになるとこんなへんてこな文面が送られてくる。一人でイヴを過ごすのは寂しいから遊ぼうよって素直に言えば良いのにそういう直接的な物言いをまーちゃんは凄く恥ずかしがるから、巡り巡ってどういう思考の回転の帰結か「サンタ狩りでもやりませんか」というわけの分らないお誘い文句になってしまうというの、だと思う、多分。

 

馬鹿だね。

 


でも私は馬鹿は嫌いじゃないから。

 

“とりあえず仕事終わったら連絡するね?”

 

といった具合にやっさしいラインを返してあげる。すぐに返信が来る。

 


どうせ今日もなんにもやることがなくて家の周りでもほっつき歩いているんだろう。まーちゃんの家の周りは遊歩道や並木道や川沿いのサイクリングロード、エトセトラ、散歩に使う道にはまったく不自由がない。

 


前にまーちゃんが言っていた。

 


「偉大な思想家と言うのはだな、自分にとってうってつけの思索用の散歩道を持っていたのだ。彼らはそこで物思いに励み、その妄想が人類、ひいては世界の礎になっていったのだ。京都の哲学の道を知っているだろう? 哲人が歩いた道だ、僕の家の前の雑木林をなぞる散歩道もいつかそんな風に誰しもが知る名前が付けられるだろう。僕の名前の漢字がそのネーミングの一部に付けられるだろう」

 


それを聞いた私が「京都の哲学の道はどんな有名な人が歩いていたの?」と聞き返したらそれには答えずに「そう、散歩が、思索がひどく大事なんだよ」とブツブツ自分の世界に勝手に潜っていってしまってしばらく浮き上がってこなかった。自分の知らない知識のことを聞かれたので都合が悪くなり逃げ出したんだ。へなちょこ。

 

つーわけで、まーちゃんは暇だ。もう本当に、可愛そうなくらい。だからラインの返信も早い。

 

“クリスマスイヴに仕事なんて随分と馬鹿馬鹿しい話だ。御機嫌よう! また後で!”

 

人の親切心を無下に引き千切るような心ない文面を平気で返してくる。

 


でも私は許してあげる。まーちゃんに悪意がないのは分かってるから。そのことを分かってあげられるのは、多分、私だけだから。

 

「仕事終わったよ、今どこにいるの」

 


定時で仕事をさっさと上がってエレベータを下りて職場の自動ドアを出たところでまーちゃんにiPhoneで電話をかける。

 


電話口にある耳と電話にあててない耳の両方から「目の前だよ」と言う声が聞こえてまーちゃんが私の目の前に立っている。私はブチッと電話を切る。

 


まーちゃんはよれよれの黒いピーコートに穴のあいたブルージーンズを履いて、もとが何色だったか分からないくらい汚れたコンバースのローカットオールスターの踵の部分を潰してサンダルみたいに突っかけている。いつもかぶっている変な色のニットキャップを冠っていなくて、短い髪の毛を整髪料でところどころ無造作に立ててる。グレーのマフラーを首から上にぐるぐる巻きにして鼻まで隠して、そのことでぎらついた目元がやけに強調される。

 


まーちゃんの眼を見るといつも思う。これは、頭の中身がしっちゃかめっちゃかになって収集がつかない人の眼だ。その眼光はとても綺麗だけど、なにをしでかすかわからないことと綺麗であることは関係ない。いや、関係あるかもしれないけれど。分かんない。今にも叫びだしそうにギラギラと光るまーちゃんのつがいの瞳。

 


「ちょっとまーちゃん、職場まで来ないでっていつも言っているでしょう。ていうか新しい場所教えてなかったよね?」

 

私は声を少し荒げて言う。言葉のささくれと心の揺らぎは私の場合、いつも正確な比例関係を作り出す。

 


「あぁ、この前飲んでる時にお前が先に寝ちゃったから、暇つぶしに携帯見て新しい派遣先、調べさせて貰ったわ。前の会社の藤木って奴な、あれ、お前に気があるぞ。少なくともワンチャンあると思われてる」

 


まーちゃんはヘラヘラ笑いながらシレッと言いはなった。本当に人のこととかまったく考えられない人なんだ、この人は。大人になっても世界が自分を中心に回っていると信じて疑っていないんだ。理解し難い前衛的な彫刻のように歪な形をしたまーちゃんの自己愛。

 

私は一瞬頭が真っ白になるくらい呆れて、何も言わずに足早にまーちゃんの横をすり抜けて立ち去ろうとした。まーちゃんに並んだ瞬間、その細くて血管が浮いた長い指が私の手首を掴む。

 

「アケミ、行かないでくれ。アケミのことはなんでも知りたかったんだ」

 

……そんな風に言われると、私がまーちゃんを許してしまうことを、この人はよくわかっているんだ。

 

私は言う。

 

「そう言う割には私はまーちゃんのこと、何も知らないみたいなんだけど?」

 

何にもやってないのにずっと一人暮らしでどうやって生活してるの?

 

ツイッターにいつもいるけどいつ寝てるの?

 

どうして私の側にいつもいようとするの?

 

……どうして私に、好きだって言ってくれないの?

 

いつも通りの疑問が頭の中をグルグルし始めたのが馬鹿らしくなって、私はそのまま、まーちゃんを置き去りにするくらいのつもりで足早に歩き始める。

 

まーちゃんは私の言ったことなんてまるで聞いてないみたいに、後ろからゴチャゴチャと言いながらまとわりつくようについてくる。

 

「なぁ、サンタ狩りしようぜぇサンタ狩りぃ」「楽しいぞサンタ狩りは」「これから絶対流行る、いや、流行らせる」「拡散だ」「取り敢えずハンズに行って準備を整えなきゃだな」

 

同じようなことを何度も何度もしつこく話して五月蝿い。十二月だけど。

 


まーちゃんを見ないようにしながら私は言った。

 


「ところでなんなのよ、サンタ狩りって」

 

まーちゃんはその質問を待ってましたとばかりに私の前に回り込み行く手を塞いで直立して敬礼のポーズをした。道行く人が何事かと私達を眺めるから私の羞恥心が声にならない悲鳴を上げる。

 


「サンタ狩りと言うのはだな!」

 


まーちゃんのよく通るでかい声。始まっちゃったよ、おい。こうなると止められない。

 


「サンタ狩りと言うのはだな! この世にはびこるすべての嘘の根源を断絶するために、クリスマスのほぼ全翼を担うプレゼントイベントをぶっ潰すことであります! 僕は考えました、クリスマスについて。サンタクロースについて。そこにある欺瞞について! 親が我が子につく分かりやすく取り返しのつかない嘘について! 親が子供にサンタクロースの存在についての嘘をつくから、子供はその嘘が明るみに出た時に『ついてもいい、善良な嘘というものもあるのだ』と勘違いするのであります。あります! 普段から『嘘をついてはいけないよ』と道徳的な教えを説いている親が嘘をつくのだから、子供はそれをみて嘘を肯定するという無意識の土台ができ上がる。そうやって育った子供が大人になり平気で嘘をつくようになる。そうしてこの欺瞞と作り笑いでできた醜い世界ができ上がっていったのだ。みんな平気で嘘をつきやがる。自分自身に嘘をついていることすら気付きもしないで。子供も大人も、老人も、学生もサラリーマンも教師も神父も新郎新婦も坊主も学者も政治家も警察も官僚も裁判官も作家も芸術家も肉体労働者も売春婦も料理人も医者も八百屋も魚屋も肉屋もハンバーガーショップの店員も家具屋も職人も弁護士も団体職員も自営業も投資家も財産家も貧乏人もみんなみんな嘘ばっかりだ。サンタクロースが着ている服の赤色は、真っ赤な嘘の赤色だ。あれはコカコーラがキャンペーンに使った色なんかじゃない、嘘の赤、嘘をつく舌の赤だ、僕はサンタさんが許せない、サンタ狩りだ!」

 

そこまでまーちゃんが一息に喋ったところで私は出店でケーキを売っているサンタクロースの格好をした小柄な女の子を指して「じゃああの子から狩ろう」と言ってみた。

 

そしたらまーちゃんはちょっとだけ思案してから「あの子は可愛いから狩らなくて良い」とかいけしゃーしゃーと宣った。どういう了見だ。馬鹿馬鹿しいと言うか、まーちゃんは阿呆だ。

 


……サンタ狩りなんて言っていたのはどこ吹く風、結局いつも通り安い大衆居酒屋で二人でビールをしこたま飲んで(飲み代は私が払った)、クリスマス価格!って売りにしてたフライドチキンなんか注文したりして、日がかわったあたりで店を出て街をブラブラしていたら叩き売りみたいな値段になっているクリスマスケーキを発見したのでホールで二つ買って広い公園に行って二人で手づかみで食べた。手もほっぺたも安っぽくてベタベタなクリームでグシャグシャ。

 

ケーキを食べ終わって芝生に座って煙草に火を点けた。まーちゃんも欲しそうだったから一本あげた。

 


酔いをさましながら空を眺めていたら流れ星が一筋。それを見たまーちゃんが「今の流れ星、サンタさんじゃない?」って嬉しそうに笑いかけてくる。サンタ狩りのことなんか忘れちゃったみたいだ。

 


馬鹿で可愛そうな頭のネジが緩んだ寒がりのまーちゃん。震えているからその手を握ってあげる。

 

こんな風に色々言ってるけど、結局私はまーちゃんを嫌いになることなんて出来ないから、仕方なくまーちゃんを祝福してあげる。

 


「まーちゃんは怖いものはないの?」私は尋ねる。

 


「なんにもないよ」まーちゃんは強がって笑う。

 


メリークリスマス。

 


サンタが流れ星になって落ちていった。まーちゃんがそう言うなら、それはそうなのだ。少なくともまーちゃんと私にとっては。

 

昨日のことを思い出していたら、いつの間にか午後三時。お腹が鳴るのを隠してオフィスからミスドに走る。

 


毎日三時にドーナツを食べながら、まーちゃんがちゃんと私に全部を話して、「好きだよ」って言ってくれるのを待っている。

 

馬鹿みたいかな?でも仕方ないんだ。

 

自分にはどうしようもない、大切な気持ちなんだ。

 

だって私は、まーちゃんみたいに外側がカリカリしていて中が柔らかい、トースターで焼いたミスドのオールドファッションが、とても、大好きなんだから。